東日本大震災支援ボラティア(石巻市・寄磯)に参加2011.12.10〜11

あの311日午後246分皆さんは何をしていたのでしょう…。

僕は仕事に一段落した休日で高尾山にハイキングに行った帰りの電車内でした。立川駅ホームで電車が止まっている時に起こり、車内からホームで立っている人が周りにつかまったり、頭を抱えてかがんでいる光景を見ました。電車はサスペンションのおかげかさ程の揺れを感じません。駅の放送で電車から降り、昭和記念公園に避難。数時間経ってもその後の経過が伝わってきません。電話も繋がりません。拉致が明かない状態と、バスや、車は動き出しているので、とりあえず駅まで戻り、考え直そうと動き出しました。

駅前の大きなデジタルスクリーンでは、ニュースが大きな津波の模様を伝えていました。まるで映画『日本沈没』の一場面のよう…。その後、9時間かかって徒歩で家に帰ってきました(次の日が久しぶりの仕事の為)。もちろんその後の混乱の為、仕事が空いてしまい毎日のように地震・津波・原発のニュースを見ていました。

<あの思いにもなかった大地震から早くも9ヶ月を迎えて>

4月の大澤さんからの支援ボラティアの報告や、9月の女性委員会によるボラティアの報告を聞き、当会もだいぶ出遅れてしまったが今自分たちが何をすべきかと考え今回の機会を得る事が出来ました。11月に企画を立ち上げ、勇士を募り、経験者の大澤さんと石谷さんの大きな尽力によって実現する運びとなりました。

12922時半過ぎ、ふじみ野駅に早くも全員が揃い予定通りバスで石巻に向かいます。途中何度かパーキングで休憩を取り道の駅『上品(じょうぼん)の郷』に6時に着く。何台ものバスが止まっていて皆、ボランティアでした。

ここから2時間近くかかって石巻鮎川公民館ボランティアセンターに向かいます。海岸近くになると目に入る建物は崩壊が凄く、瓦礫こそないが建物の土台だけが目立っています。鮎川ボラティアセンターでは受け付けがうまくいかないのか、またボランティア活動とはこういうものなのかと時間ばかり過ぎます。鮎川も漁港で津波の被害が相当なものだったようです。電灯の支柱だけが残っていて津波が襲ってきた向きで傾いています。高台の建物とコンクリートの建物だけが残り全てが無くなっているようでした。

受付もやっと終わり又バスで現地へと向かいます。

地震の影響でアスファルトの道も凸凹に。海岸近くでは地盤沈下と崩壊で小型バスが入っていくのがやっとです。私達の入った場所は牡鹿半島付け根の東端、三陸・女川原発の僅か東に繋がったような場所で小さな漁港です。海岸線には地盤沈下でかつての港は水際ぎりぎりです。高台に残った民家の他、低地ではコンクリートの建物が2棟、目に入ります。他は何もありません。

私達はこの寄磯公民館の瓦礫撤去作業を行いました。

(帰ってきてネットで調べたら、震災後約1ヶ月経っても漁港は建物の木材や流されたブイで一杯、木造の建物は倒れて、木端微塵のようです。鉄骨の倉庫も跡形も無く壊れていました。9ヶ月の間に片付けられたようです。)

私達以外の人とも共同で撤去作業となりました。ここはまだ手つかずのようで係の人からは「骨などを見つけた場合には触れずにすぐに報告して下さい」と指示が出ます。

女性は12階、男性は屋上の瓦礫撤去です。

ヘドロまみれの建物の瓦礫、畳、袋入りのままのわかめや衣服が沢山です。若者に交じって私達も奮闘。見る間に中屋上はかたずいて行き、最屋上にかかります。半分落ちかかった建物の梁や壁、大型の瓦礫が宙ぶらりんのように引っかかったような状態です。鋸やハンマーを使って分解しながら外へ落としていきます。

作業終了の15時前までに皆の協力で屋上階すべての地肌が現れました。砂も何箇所かにまとめられて達成感いっぱいです。階下の女性たちの相当な頑張りようで皆さん自慢げでした。

一日の作業も終わった15時過ぎ大きな地響きと共に震度4の地震です。さぞ当日の地震はものすごかったのだろうと察しました。

バスに乗り、交流センターで入浴。(当日はボランティアは無料でした)

石巻市街まで戻り北へ向かい労山が良く利用する水沼東部構造センターに向かいます。施設ではすでに東京・大田山の会の方が到着して食事等の用意をして頂きました。撞きたてのお餅や沢山の料理が並べられ交流会が始まります。石巻労山や宮城県連の方たちとも混ざって挨拶や歌の交流で盛り上がりました。

さて翌日、私達は昨日に引き続き寄磯公民館に向かいます。

帰路の時間に合わせての行動で早めの作業終了の為9時前に現地到着。昨日下まで降ろした瓦礫を分別してボランティア本体を待ちます。本隊合流後は再び男性と女性で昨日同様作業となり我男性陣は屋上の残った土砂を土嚢袋に詰め篭で階段まで降ろします。ロープワークがこんなところで役に立つとは?…。

11:00作業終了を係に伝え帰路に向かいます。

鮎川公民館ボランティアセンターで作業報告をし、地元の産物等を買うと石巻市街を経由して被災を確認しました。

NHK『鶴瓶の家族に乾杯』でも放送になった日和山公園で市街を視察。殆どの建物が無くなって空き地状態。僅かに高台に民家が残るだけ。津波の恐ろしさを身にしみて実感しました。

大震災からちょうど9ヶ月の日にボランティアに向かい現地の避難村ではお祭りのようにバザーなどが催されていましたが、たった一度の地震で、一日で、人生が変わってしまった事、家族も何もなくなってしまった事が自分であったらどうしていたのだろうかと…。

大きなことはできないが、これからもコツコツと自分なりにお互い様の気持ちで支援していこうと思ったのは今回参加した皆さんも同様と思います。

今回参加できなかった方も、是非小さな事でも支援を続けて行きましょう!

まだまだ、現地は支援が必要な連絡がこちらには入ってきます。「がんばろう東北・がんばろう日本」『距離じゃないよね 行こうという気持ちの強さだね あなたの勇気にありがとう』(鮎川公民館ボランティアセンターに書いてあった大きな一言)
 
参加者:大澤、石谷、青木、市原、沖、小田切、小畑、笠井、金子、斉藤、佐藤、神木(埜歩歩)赤丸(ハイジ) 計13名

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